幼い頃から本が好きで、童話もたくさん知っている。
私の一番好きな童話は 浜田廣介 作
「泣いた 赤鬼👹」
心の優しい赤鬼は 人間と仲良くなりたいと 自分の家の前に「遊びに来てほしい」と立札をするが、人間は赤鬼を疑って家に遊びに来ようとしなかった。
赤鬼は悲しんで 友達の青鬼にその話をすると青鬼は赤鬼の為に自分が悪者になる事を考え、青鬼のお陰で赤鬼は人間と仲良くなる事が出来たが、青鬼は「自分が赤鬼と一緒にいてはいけない」と 赤鬼のそばから去り、赤鬼は大切な友達を失ってしまう。
この話は赤鬼が 青鬼の思いやりに気付かず、自分の欲望を叶える為に行動した事がクローズアップされ、小学校の授業でも「赤鬼」の心の変化を勉強したように思う。
でも私が幼き頃に惹かれたのは
「青鬼の手紙」
赤鬼への手紙がこれ↓↓↓
「赤鬼くん 人間達と仲良くして楽しく暮らしてください。もし、僕がこのまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。僕は旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さようなら。体を大事にして下さい。
僕はどこまでも君の友達です。」
決めた‼️
私も青鬼のように生きよう。
青鬼のように優しく 大事に思う人が一番幸せであればそれでいい。
幼ながらに心に誓い、
「自分より他人」
と子供にもそう教えてきた。
青鬼の生き方が素晴らしいと思ったからだ。
確かに素晴らしい行いだった。
でも、私はそれが
「すべて」
だと物凄く片寄った考えに至っていた。
何をするにも 他人を気遣い、自分は二の次。
それが自分の中では
「素晴らしい事」
だったので1ミリも苦とは思わなかった。
しかし、
「自分軸」
と言う言葉を目にして
あれっ⁉️自分には優しく生きて来てない
と考えるようになった。
息子に話しても「僕も配られるお菓子が自分に当たらなかったとしても 全然嫌じゃ無かった。欲しい子が貰えばいいから」
あーごめん😞💦子供なんだから そうは言ってもお菓子は欲しかったはず❗
青鬼の行動は素晴らしい❗
でも 自分を二番手、三番手にする必要は無い。
自己犠牲は青鬼のように 「ここぞ❗」という時に発揮すればいい。
他人の気持ちを汲む事も大事だが 自分を幸せにする事が一番大事だと息子に話をした。
自分も改めて
「私はどうしたいの❓」
と問いかけながら生きて行こうと思う。